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レンブラント略年譜

ライデンの製粉業者の息子として生まれ、名画家として名を馳せたレンブラント。彼は一体どのような時代に生まれ、どのような人生を生きたのでしょうか。レンブラントの一生と、彼が生きた時代とを振り返ります。

西暦(年齢) 時代背景 日本の出来事
1606 7月15日、レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン、ライデンに生まれる。父は製粉業者。10人兄弟の9番目。 1609年オランダとスペインの12年間休戦条約締結。
レモンストラント派とカルヴァン派の対立激化。
1603年江戸幕府が開かれる。
1609年オランダが平戸に商館を設置。
1613 ラテン語学校に入学。   1613年イギリス船が来航、通商条約を結ぶ。
1615年豊臣氏滅亡。
1620 ライデン大学に入学。在籍するものの、画家の道を目指すため退学。    
1621 同市のヤーコプ・ファン・スワーネンブルフに弟子入り。 1621年スペイン戦再開。スペイン、フェリペ4世即位。  
1624 アムステルダムの歴史画家ピーテル・ラストマンに師事し、影響を受ける。ライデンに戻る。   1623年イギリス人、平戸の商館を閉じる。
1625 年記のある最初の作品『聖ステパノの石打』制作。
僚友リーフェンスと工房を共同運営(〜1631)
1625年マウリッツ公没。
フレデリック・ヘンドリックが総督に就任。
 
1626 宦官の洗礼を制作。    
1627 ターバンを巻いた老人の頭部を制作。    
1628 ヘリット・ダウとイーサク・ファン・ヤウデルヴィルが弟子入り。
オラニエ公フレデリック・ヘンドリックの秘書官コンスタンティン・ハイヘンスがアトリエを訪問。
『サムソンとデリラ』を制作。
   
1629 自画像サウルの前で竪琴を弾くダヴィデを制作。    
1630 父死去。
背の高い毛皮の帽子をかぶった老人の肖像を制作。老人の頭部(レンブラントの父)完成。
   
1631 アムステルダムへ移住。ヘンドリック・ファン・アイレンブルフの許に寄宿。工房の制作責任者を務める。
キリストの磔刑を制作。縁なし帽をかぶった老人の肖像完成。
   
1632 『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』を制作。一躍有名になる。
金の鎖をつけたあごひげの老人の肖像鵞ペンを削る若い男の肖像を制作。
1632年ヨハネス・フェルメールが生まれる。  
1633 ホーファルト・フリンクが入門。
詩人ヤン・ヘルマンスゾーン・クルルの肖像扇を持つ若い女の肖像ヴィレム・ブルフフラーフの妻マルハレータ・ファン・ビルデルベークの肖像を制作。
   
1634 ヘンドリック・ファン・アイレンブルフの親戚で元レーウワルデン市長の娘サスキア・ファン・アイレンブルフと結婚。
豪奢な装身具を身につけた若い女の肖像レンブラント(自画像)を制作。
   
1635 新居を構える。長男が生まれるが2ヵ月後に死去。
広つば帽をかぶった男の肖像羽根飾りの帽子をかぶった男の肖像(自画像?)を制作。
『説教する洗礼者ヨハネ』完成。
   
1636 オラニエ公のための「キリスト受難伝」連作の仲介の礼としてハイヘンスに目を潰されるサムソンを贈る。   1636年長崎に出島が出来る。
1637 ビネン−アムステルの「製糖所」へ転居。フェルディナント・ボル、レーンデルト・ファン・ベイエレンが入門。 1637年ヨーハン・マウリッツ・ナッサウ、オランダ領ジブラルタル総督に就任。 1637〜38年島原の乱。
1638 長女が生まれるが1ヶ月足らずで死去。
善きサマリヤ人のいる風景を制作。
1638年フランス太后マリー・ド・メディシスがアムステルダムを訪問。  
1639 聖アントニウス広小路の邸宅に移る。(現在のレンブラントハイス美術館) 1639年ダウンズ海戦でオランダがスペイン艦隊を破る。 1639年鎖国。
1640 次女が生まれるがまもなく死去。母死去。 1640年ルーベンス死去。  
1641 ティトゥス誕生。『34歳の自画像』、戸口に立つ男の肖像(アンドリース・デ・フラーフ)国家の団結、『メンノー派説教師コルネリス・クラースゾーン・アンスロとその妻アールチェ・ヘリッツドホテル・スハウテンの肖像』を制作。   1641年オランダ人を出島に移す。
1642 サスキアが30歳の若さで死去。『夜警』完成。
ティトゥスの乳母としてへールチェ・ディルクスを雇う。
  1643年田畑売買の禁止。
1646 描かれた額縁とカーテンのある聖家族を制作。    
1647 ヘンドリッキェ・ストッフェルスが家政婦としてレンブラントの家にやってくる。
『長老たちに脅されるスザンナ』を制作。
1647年オラニエ公フレデリック・ヘンドリック逝去。
1648年ウェストファリア条約締結−対スペイン和平。
 
1649 ヘールチェとの愛人問題が裁判沙汰に発展。
若いユダヤ人の肖像を制作。(1640年代)
   
    1650年ウィレム二世逝去。
72年まで総督空位の時代。
 
1652 シチリアの貴族ドン・アントニオ・ルッフォから注文を受け、『アリストテレス』を制作する。
ニコラース・ブライニングの肖像を制作。
1652-54年第一次英蘭戦争。  
1653 邸宅の支払いが滞り、家計が逼迫。借金を重ねる。    
1654 ヘンドリッキェが改革派教会の査問会に召喚される。彼女との間にコルネリア誕生。    
1655 机の前のティトゥス、『ポテパルの妻に責められるヨセフ』を制作。 1655年アムステルダムの新庁舎落成式。  
1656 借金の返済不能に陥り、ハーグの高等法院に財産委付の申請をする。
ヨアン・デイマン博士の解剖学講義ヨセフの息子たちを祝福するヤコブを制作。
   
1657 コレクションが競売にかけられる。   1657年江戸明暦の大火。
1658 邸宅を売却。ヨルダーン地区に引っ越す。
円柱に縛られるキリストを制作。
   
1660 ヘンドリッキェ・ストッフェルスを制作。    
1661 復活したキリストを制作。    
1662 アムステルダムの新市庁舎のために『クラウディウス・キウィリスの謀議』を描くが、返却される。    
1663 ヘンドリッキェ死去。若い男の肖像を制作。    
1666 若い男の肖像を制作。 1664-67年第二次英蘭戦争。  
1667 結婚したばかりのティトゥスが死去。
老人の肖像を制作。
   
1669 ある家族の肖像完成。孫娘ティティア誕生。
10月4日レンブラント死去。4日後に西教会に埋葬される。
   
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